インタビュー No.3 人生はサバイバル、どんどん表に出ていこう 夕日評論家 油井昌由樹さん

世界に一人しかいない「夕日評論家」という肩書を持つ油井昌由樹さんは、大学卒業後、世界一周の旅に出かけたときにアウトドアカルチャーに魅せられ、帰国後、「スポーツトレイン」というアウトドアショップをオープン。さらには雑誌の編集・執筆、イベントのプロデュースほか、俳優として黒澤明監督の作品に出演するなど、マルチな才能を発揮してらっしゃいます。多岐にわたる活動の傍ら、油井さんはボランティアで、耳の聞こえない子供たちの教育支援をするトライアングル金山記念聴覚障害児教育財団の専務理事をされています。障がい児への支援活動を通じて油井さんが感じたこと、これからの障がい者支援の在り方についてお話をうかがいました。

耳の不自由な子、親、先生とのトライアングル

油井さんが理事をされているトライアングル金山記念聴覚障害児教育財団(以後、トライアングル財団)は、聴覚障害児の親子の支援を東京大学先端科学技術研究センターにある研究室で行っています。親、子、指導・研究者とのトライアングルです。トライアングル財団は、1967年より早稲田の地で始まった故金山智子先生の「母と子の教室」が基となっており、難聴児に対して、聴覚活用からの言語の習得を目指し、早期発見、早期教育を続けてきて50年以上になります。教室の賃借料が負担になったときに、トライアングル財団理事長・児玉眞美さんのご主人、児玉龍彦先生の東大研究室で活動をしてはどうかという話になり、そこで活動をするようになりました。具体的には、聴覚活用、母子の会話、語彙、さまざまな文型・絵カード・絵日記を用いた学習、家庭での体験を重んじた会話など丁寧な聴覚言語学習、そして2000年以降は手話を用いたりして、多様な学習支援を行っています。トライアングル財団を巣立った子供たちの中には、学習過程でしっかりとした情報保護を受けて、大学に入学して卒業し、世界で活躍している子もいます。

トライアングルとのきっかけ

油井さんが大きな病気をしたときの主治医だったのが、トライアングル財団理事長・児玉眞美さんのご主人、 東京大学先端科学技術センター教授/東京大学アイソトープ総合センター・センター長を務めていた児玉龍彦先生。その後、油井さんのマルチな才能と人懐っこさから親友となり、公私ともに親しい関係となりました。当時の国の最先端研究開発支援プログラムの一つとしてスタートした児玉教授研究室のプロジェクトMDADD(分子設計抗体薬の開発)の広報資料やHPを油井さんが作成したり、公のパーティーに関係者でないのに親友という理由だけから呼ばれたり。その後、油井さんの奥様が大病を患ったこともあって、今では、児玉先生ご夫妻と油井ご夫妻が一緒に暮らしているほどの親しさだそう。「映画撮ろうと思って、金を全部使っちゃっていろいろあったときに、うちの奥さんが病気で要介護4になったから、『だったらいっしょに住まないか?』って児玉先生から提案をいただいたの。東大医学部の医者といっしょに住んだら安心じゃない?(笑)そして、トライアングル財団の広報担当が辞めちゃうというんで、引き継いで、手伝うようになったの」と油井さん。油井さんはHPや広報誌“おたより“通して、情報の編集・発信を担当しています。

油井さんはトライアングル財団に来た耳の不自由な子供たちとどのように接しているのか。聞いてみると、手話は「こんにちは、油井です」くらいしかできないそう。その代わり、スキンシップ、アイコンタクト、笑顔の交わし合い、言葉にならない個々の子供の意図の理解に一生懸命努めてているそうです。「かわいいよ~、ぎゅ~っとやってごらんよ。通じるんだよ。耳が聞こえないぶん、僕らには見えないもの、感じるもの、その感覚はすごいんだよ」と、人懐っこい笑顔で語ってくれました。「外国人がよく言うけど、日本語を覚えるまではみんな親切だけど、覚えたらほっとかれるって。それと同じ。手話はわかんないけど、伝えたいことがあれば伝えられる。一生懸命コミュニケーションをとろうとするのがお互いいいんじゃない?」

今みている子供たちが巣立っていくまではトライアングル財団を存続させたいと、語ってくれました。

どっちに行ってもいいような安定感

「口をきけないと発見が遅いでしょ。もしかしたら聞こえない?とうちに来て、それがわかったときの親のパニックは半端ない。心配で不安で落ち着かないよね。そんなときに『まあ落ち着こうよ』というのが俺の役目。でもね、ここがサバイバルであって、どっちにも行っても(健聴だろうが難聴だろうが)大丈夫なような精神状態であってほしい。今日はどっちに行こうかな、何をしようかな、どんな状態でもどっちでも行けるような安定感を持つのがだいじ。教育は経済力とも言われるけど、それで出来が左右されてはいけないよね。どんな状況でもうごける、それがサバイバル」と、ご自身がアウトドアのエキスパートで、雪上キャンプをするなど極限でのサバイバルを身をもって体験しているからこその表現で語ってくました。「トライアングルでは聞こえないと分かったら、何年かかるかわからないけど面倒をみます。ちっとも上達しなくても数年後に突然できるようになることかあるの。もちろん環境によって個人差は出てくるけど、この間まで2,3年遅れてるかなという子が、次に会ったときには追いついてるみたいな。折に触れて(クリスマス会とか)子供たちの様子を見ているけど、成長が見られるのはうれしいね」

支援なんて、いろいろ考えないで手を出せばいい

油井さんに障がい者支援の在り方について尋ねたところ、「共存共栄社会のためにバリアフリーっていうけど、エレベータ設置しました、スロープ付けました、これで障がい者が自立できるぞ~と、そんな恰好だけ整えたってだめよ。みんな、手伝わなきゃだめよ。一回やってみたら、どれだけ役に立ったのか、人のためになったのか、こんな機会をくれて神様ありがとうってなると思うよ。いろいろ考えないで、素直に手を出せばいいんだよ。自分が困っている時に助けられてごらん?すがすがしい一生を送れると思うよ」と語ってくれました。経験から感動したエピソードを尋ねてみると、「昔ね、駅で2階にも渡る長い上りエスカレータに乗ったときに、反対の下りエレベータの頂上で、乗る一歩が踏み出せないおばあちゃんがいたの。せっかく頂上に上ったんだけど、おばあちゃんの手をつないで一緒に下まで降りたことがあってね。おばあちゃんは、また上りエスカレータをあがっていく俺の姿が消えるまで、下で何度も頭を下げていてね。振り返るたびにペコペコするおばあちゃんを見て、こっちの方が気恥ずかしくなったけど。その時のおばあちゃんの顔立ちや声が俺の血となり肉となっているんだ。ずーっと頭下げて、俺の姿が消えるまで見送ってくれたおばあちゃん。神様が出合わせてくれたんだよ。このおばあちゃんの話じゃないけど、例えば車椅子を押すことになるとか、その瞬間にできることをやればいいの。すがすがしい一生を送れると思うよ。この人とはじめてのことを今この瞬間を迎えているんだよ!そう思うとすごいじゃない?」

表に出ていこう

「障がい者は表に出るといい。周りも慣れてくるし。見えない、聞こえない、動かせないとか目立つ障がいがあると隠れる傾向があるけど、アメリカのようにどんどん表に出て発信すればいい。俺には目の不自由な親友が多くいるの。彼らは聞こえに対して優れた観察力を持ってるよ~。そして、障がい者手帳があったらもっと活用しろ(タクシーとかで)。いっしょにいる人も勉強になるし。ヤッホーって表に出て。それが、お互い知ることになるんだよ」と、顔をほころばせてエールを語ってくれました。

トライアングル
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